ふるさと関東学院募金
関東学院からご支援のお願い
採用情報
取材・撮影のお申込み
関東学院未来ビジョン
学院 各校のトピック

関東学院創立140周年記念式典 学院長メッセージ

10月12日、関東学院大学 横浜・金沢八景キャンパスのベンネットホールで関東学院創立140周年記念式典を執り行いました。当日の記念礼拝における学院長メッセージ(全文)を掲載いたします。



「約束されたものを仰ぎ見つつ」 学院長 松田 和憲

本日、学院創立140周年記念式典を挙行できますこと、感謝いたします。共に創立の時から今日までの変わらない神の恵み、導きに感謝し、また関東学院の教育のわざのために尽力された多くの先達、関係者の皆さんのご支援・ご協力を覚え、さらには、150周年に向けて思いを新たにする「旅立ちの時」にしたいと願っています。

本日ご一緒に学びたい聖書は、「へブル書」と呼ばれ、新約聖書の中でも難解な手紙ですが、1世紀後半、ローマ皇帝の迫害に苦しみ、信仰的にも弱り、意気消沈している人々に書かれた手紙で、内容的にも豊かで、現代の私たちにも励ましを与える手紙です。111節で「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」だと語り、続いて、創世記の時代から信仰に生きた人々、アブラハム、イサク、ヤコブ、そして、モーセ、ダビデ等の名を連ねています。今日はその中で「信仰の父」と呼ばれた、アブラハムの生き方を学んでみたいと思います。

アブラハムの一族は父の代まで、メソポタミヤ文明の発祥地、カルデアのウルに住み、その後ユーフラテス川を北西に進み、パダンアラムのハランにやってきました(創11:31)。父はそこで死に、アブラハムは族長となり、主から「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて私が示す地に行きなさい」との言葉を聞きます。この命令は彼に対し厳しい決断を迫り、安定した生活に決別することを促すものでしたが、彼は主から旅立ちの命令を聴き、主の祝福の言葉を信じ、ハランの地を旅立ったのです。

アブラハムが一族の長(おさ)として、生活の根拠も捨て見知らぬ土地に旅立つことは大きな冒険であり、表現できないほどの不安に駆られたに違いありません。へブル書118節では「アブラハムは、主の言葉に服従し、行く先も知らずに出発した」と記しています。「行く先も知らずに旅立つ」ことは、一見無定見で場当たり的態度と見る向きもありますが、聖書は、アブラハムの取った態度の中に信仰者としての真の生き方があると語っています。

フランス文学者・森有正氏は、アブラハムが「行く先も知らずに旅立った」姿勢を評し、彼は「冒険する心」を持っていたと語ります。日本語で「冒険」と言えば、「危険を冒すこと、成功するか定かでないことを敢えて行うこと」、向こう見ずで無茶なことを行うと言ったイメージで考えられがちですが、本来、英語のventureAdventure、フランス語のアバンチュールとも同じ語源で、「危険を冒す」意味の他に、「やってくる」とか「思いがけないことが起こる」「新しく起こることに期待し信頼して生きる」という意味でも用いられています。キリストの誕生を待ち望む「アドヴェント」も同じ語源で、「期待して待つ」という意味が含まれています。

森有正氏は、「冒険」に対立する反語は「同化」、すなわち「自分のものにすること」「自分に同化する」ことだと語っています。そうした自己中心的で、自分を変えようとしない生き方こそが「冒険」の反対語の「同化」だと言うのです。森氏にとって「冒険」とは、南極探検とかエヴェレスト登頂など、未知の世界に危険を冒して足を踏み入れることだという意味の他に、「新たなものに触れることで自分も新しくされ、心を開く」と言うことを意味しており、アブラハムが神の召しに従い「行く先も知らずに出て行く」姿の背後に「冒険する心」があったことを森氏は見逃しませんでした。それならば、アブラハムは、なぜ「行く先も知らずに出ていくこと」ができたのでしょうか。彼は楽天家で「何とかなるさ」と思うことができたからでしょうか。いや、そうではありませんでした。彼は誰よりも民を愛し、その行く手に対して長として並々ならぬ関心を抱いていましたが、心の一番深い処で「行き先」は自分自身が決めるのではなく、神ご自身が道を示してくださることに信頼を寄せていたからではないかと思います。信仰とはある意味で自分の立てた計画を手放して、主なる神の導きに一切を委ねることであると言えましょう。

さて、こうしたアブラハムのような決断を迫られたのは旧約の遥か昔のことで、現代の私たちとは無縁なことでしょうか。そうは思いません。創立記念にあたり、学院として忘れてはならない事例を挙げれば、100年ほど前19194月、三春台の丘に「中学校」を創設しようとした際、学校関係者にとって大きな決断を迫られることがありました。当時の日本政府は天皇制を全面に打ち出し、キリスト教教育抑圧のため「文部省訓令第12号」を発令したのです、それは「宗教教育、特に礼拝、聖書の授業、キリスト教の関連行事の一切をしてはならぬ」との訓令で、殆どのキリスト教学校は窮地に立たされたのです。

元学院長・坂田祐先生の著書『恩寵の生涯』「関東学院建学の精神(p.481-487)」でこう記しています。「…学院を横浜に創立する時に、キリスト教を表面に掲げては学校が発展しないから、中学校としてのすべての特典を有する普通の中学校としてやった方がよろしいではないかとの意見がありました。しかし、私は普通の中学校としての特典が得られなくとも、キリスト教教育を正面に掲げてやらなければ真の教育はできないと主張し、「関東学院中学校」でなく「中学関東学院」として創立したのであります。…その後、不利に甘んじてキリスト教を正々堂々と掲げ、聖書を道徳の根底として教えてきたのであります。」このように、坂田先生は事実について淡々と記されていますが、その背後で、学校を率いるリーダーとしてどんな葛藤、苦しみがあったことか、今更のように思わされています。かくして、1919年に不利益を被ることも辞さず、無認可の各種学校の道を選び取り「中学関東学院」としてスタートしたのです。日本キリスト教史の第一人者・土肥昭夫氏は、当時、訓令第12号の圧力に屈して廃校した学校もあれば、キリスト教学校としての看板を取り下げてしまった学校もあったと記しています。その中で我が関東学院の指導者の諸先生方がブレることなく、学院として取るべき大切な道を選択されたことは歴史上、特筆すべき事柄であったと思います。 

私は、坂田先生の言葉を読んで、当時の諸先生方は「冒険する心」を持っておられ、「行く先を知らずに」出ていかれたと信じています。開校の三か月前、神奈川県・有吉知事の名で「私立中学関東学院」設立が認可された際の記録に生徒定員600名と記していますが、その時、600名もの生徒を迎えて、政府の訓令に従うことで特典を得ることで、心置きなく教育事業を行った方が良いとの声が上がったに違いありません。勿論、時代的状況は違いますが、もし私が教学の責任者として、文部省の言うことを聞いて、しっかり恩恵を受けた方が良いのでは、との囁きを耳元で聞いたなら、それに屈することなく、毅然とした態度を取ることができたであろうか、と自問している処です。

ここまで私たちは、創立140周年記念に当たり、過去の先達の信仰的態度に敬意を払ってきました。それを踏まえて留意したいことは、150周年に向けて、揺れ動く社会の目まぐるしい変化に動じることなく、また目先の損得に囚われずに、学院としての揺るがない一本筋の通った教育理念、建学の精神に立ち続ける必要性を強く感じています。なぜならば、21世紀を迎えた今もなお、教育の現場においては、常に判断、決断を迫られるような事柄が私たちの前に置かれているからです。その主なものを2~3上げるならば、2006年には教育基本法の全面改訂(これは1947年に公布された基本法の改悪)」がなされ、教育界に大きな波紋を投げかけました。そして2011年、文科省による「道徳の教科化」、それは、私立・公立を問わず、授業の中に「道徳」の教科を導入すべしということで、有無を言わせず、道徳の教科書が我々の小中学校にも送り届けられました。「聖書」こそが道徳に勝る「教科書」だと主張するキリスト教学校にとっては大きな問題でした。そして2025年から文科省通達として私学法の全面改訂を余儀なくされ、多くのキリスト教学校では戦々恐々としています。一連の事柄は決して容易に受け入れられるものではなく、何が問題か、いかに対応すべきか、慎重に検証すべきものばかりです。キリスト教学校として何を守っていくべきか、かつての先達が立ち続けた場所に、私たちは過たず立ち続けられるか、日々問われているような気がしてなりません。

我が学院の「道しるべ」は何かと問えば、どなたも校訓「人になれ 奉仕せよ」だと答えるでありましょう。私は数あるキリスト教学校の校訓の中でも、校訓「人になれ 奉仕せよ」は極めて優れた校訓だと感じています。その理由が色々ある中で一つだけ上げれば、坂田先生が数年後に「人になれ 奉仕せよ」に併せて、「その土台はイエス・キリストなり」と書いておられたことにあります。それには、坂田先生が、この校訓が独り歩きしないように、また安っぽいヒューマニズムに陥らないようにとの思いが込められていたと思います。それでは「キリストを土台とする生き方」とはどんな生き方を意味するのか、また、具体的に学生・生徒にいかに伝えれば良いのでしょうか。ディローフ先生ご夫妻の母校、シカゴのJudson Collegeと、工学部・建築学科との提携で、数名の学生を大学院に送り、学位取得後、二人の学生が帰国して研究室を尋ねてくれた時の話ですが、Dean との面談で、「君たちの信仰は何か」と問われた時に、彼らが率直に答えたことを話してくれました。「自分はクリスチャンではありませんが、大学に入って、初めて「キリスト教学」の授業で聖書に触れ、その深い世界観、人間理解を学ぶことができ、これを自分の人生の土台として学び続けていきたいと思います。」と答えたら、Deanは大変喜んでくれたと語ってくれました。

キリスト教学校の使命(ミッション)は学生、生徒をキリスト教信仰に導くと言うより、今まで触れることのなかった聖書の普遍的な真理、ものの考え方、人間観、倫理観に触れ、かつ学ぶことによって、それを土台に学生・生徒各自が自らの人生を築き上げる手助けをすることではないでしょうか。最後に、へブル書の読者も励まされたであろう言葉を皆様に贈り、創立140周年記念のメッセージとさせて頂きます。

へブル書1212節(口語訳)「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、絡みつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」