関東学院学報 No.44
11/24

10 KANTO GAKUIN NEWS No.44どうせやるならば基礎からしっかり学びたいと思いました。そこで、専門学校に通うことに決めたんです。高校を卒業して間もない人たちと2年間一緒に学びました。もともと理系ですから、文系寄りの学問を学ぶのは新鮮で楽しかったですね。でも、辛かったのは実習です。おむつ交換なんて、我が子のおむつ替えですらやったことがないのに、本当にできるのかと思いました。永野 どうやって克服されたのですか。矢部 また父のことを思い出したのです。父は赤紙で招集されて戦地へ行き、2等兵という軍人の最下級からスタートしました。最後は大尉まで昇格しましたが、勉強をしないとそこまで出世できません。実は、周囲が寝静まってから、トイレで勉強をしていたらしいのです。一番下ではいつ戦地で死んでもおかしくないから勉強をしたと聞いたことを思い出しました。父の必死な生き方に比べたら、実習なんてできなくてはいけないと腹をくくって、それ以降は抵抗なくできるようになりました。永野 そうやって苦労もされながら、介護福祉士の資格を取得されたのですね。その後はどうやってこちらのオープンに至ったのですか。矢部 地域の高齢者に集まってもらって、ニーズを聞いたのです。それで誕生したのが「地蔵山ふれあいセンター」という簡単な葬儀もできる集いの場所です。高齢者が外出できずに家に閉じこもっているとレベルダウンしてしまいますから、集える場所があれば来てくれるのではと思って作りました。今は、フラダンス、カラオケ、おりがみなど、皆さん好きなことをやって楽しんでいるようです。その後は、有料老人ホームの設計をしたこともありましたが規制が厳しく断念せざるをえませんでした。そんな時に、高齢者専用賃貸住宅のことを知ったのです。あまり規制もなく、これならば自分が志す高齢者福祉を実現できると思いました。 2009年春、64歳で銀行融資を受けて開業して、今年でようやく3年になりました。「結ゆい生」の場合は、比較的元気なうちに入居し、介護が必要になったら外部の介護サービスも利用可能です。他の施設に比べると、自由に行動ができますし、個々の状態に応じた自立支援を受けることもできます。全21室は30㎡以上あり、すべてにトイレ、キッチン、浴室を完備し、スタッフが24時間常駐しています。病院へ通う人は、私が送迎します。医師と話をして、メモをとって、薬をもらうなど、細かいこともすべてお手伝いさせていただいているんですよ。永野 矢部さんご自身がそういうスタンスで接してくれると高齢者は安心ですね。矢部 最初は理念だけでスタートしましたが、理念を貫こうとすると、自然に行動に移せるようになりましたね。永野 現在の高齢者福祉の状況についてどのように感じていますか。矢部 社会福祉制度が毎年のように変わるだけでなく、今や政争の具にまでなっています。ひどい状況です。私の究極の思いは、高齢者に目を輝かせて暮らして欲しいということです。そのためには、その人に寄りそって、理解しようとしなければいけません。永野 やはり、じかに触れ合える機会をどれだけもてるかなんでしょうね。事務的な対応ではなく、そういう意識で接すると相手にも伝わるものがあると思います。私も、今は「横浜いのちの電話」という社会福祉法人で自殺防止の活動をサポートしていますが、電話での傾聴が一番難しいんです。寄りそって聞くという意味では、お互いの仕事に通じるものがありますね。 ところで、施設名の「結ゆい生」とはどういう意味なのでしょうか。また、食事のメニューがないと聞きましたが、何か意図はあるんですか。矢部 医師である早川一光先生の著作「老い方練習帳」に、『絆というのは、糸が半分ずつ撚り合っていい絆をつくるということで、結いというのは糸を結ぶということ。もっと行動的で積極的な意味があります。』といった記述があり、とても感銘を受けたのです。そこで、「結い」の「い」に「生」をあてて「結ゆい生」としました。 メニューについては、生活の最大の楽しみである食事を充実させるために、予めお知らせすることをやめたんです。料理長はここの設立趣旨に賛同してくれて、東京のお店をたたんでこちらへ来てくれた人です。「ただいま! 今日の夕飯なに?」と聞くのが食事だと思っています。書き出されたメニューなんて、あまりに味気ないですよね。永野 最後に後輩へのメッセージをお願いできますか。矢部 人を愛することがどんなに大切かを関東学院がストレートに教えてくれたことに今となってはとても感謝しています。そういうことを他では教えてくれません。しっかり心で学んでほしいですね。●矢部一郎(やべいちろう)氏 略歴1944年神奈川県生まれ1951年逗子幼稚園卒業1957年逗子市立逗子小学校卒業1960年関東学院六浦中学校卒業1963年関東学院六浦高等学校卒業1968年�上智大学理工学部電気・電子工学科卒業1968年 (財)原子力安全研究協会入社2001年� (財)原子力安全研究協会任期満了に伴い理事退任2004年横浜国際福祉専門学校卒業<取得資格>介護福祉士福祉住環境コーディネーター2級学生時代のクリスマス会後列左が矢部さん、後列右が永野先生関西修学旅行(高2)前列左が矢部さんサービス付き高齢者向け住宅桜山ハイム結ゆい生住所:逗子市桜山5-39-16Tel:046-870-6645What Supported the True Start of My Life Was the School Motto Rooted in My MindMr. Hajime Nagano visited Mr. Ichiro Yabe, President of “Sakurayama Haimu Yui,” a residence for elderly people with care services, for an interview. Both are graduates of Kanto Gakuin and Mr. Nagano is senior to Mr. Yabe. Mr. Yabe started his career in nursing care when he was 57 years old after retirement. He attended a vocational school for two years and is a certified care worker. According to Mr. Yabe, he was able to make the best decision at the final stage of his life thanks to the school motto “Be a man and serve the world.” He said that he has finally started his true life, rather than a second life.Looking back on his school days, he appreciates very much that he learned the importance of loving others. He strongly encourages readers to learn the importance of loving others with sincerity.

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です