関東学院学報 No.44
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KANTO GAKUIN NEWS No.44 9本当の人生のスタートを後押ししてくれたのは、心に根付いていた校訓でしたゲストOB 矢部一郎氏関東学院六浦中学校・高等学校(1963年卒)(インタビュアー:関東学院六浦中学校・高等学校元校長(第4代)永野 肇先生)建学の精神を生きる「卒業生に聞く」サービス付き高齢者向け住宅「桜山ハイム結ゆい生」の代表取締役である矢部一郎氏は、定年退職後に福祉の道へ進みました。その経緯などについて、関東学院六浦中学校・高等学校の先輩でもある永野肇先生が現地へお邪魔してお話を伺いました。永野 もうずいぶん前になりますが、初対面の時を覚えていますか。矢部 もちろんです。私が中学生の頃で、永野先生は3歳年上ですから高校生でしたよね。数学を担当していた岩楯先生のお宅でクリスマスパーティーがあって、そこでお会いしたと記憶しています。懐かしいですね。当時の私は、部活動もまったくやっていませんでしたし、とてもおとなしい生徒でした。永野 付きあいは長いのになかなかお話をする機会に恵まれなかったので、今回の対談はとても楽しみにしていたんです。それにしても、勤務先を退職されて、57歳になってから福祉の世界へ飛び込んだということにはとても驚かされますが、きっかけは何だったのですか。矢部 父が長年、社会福祉の仕事をしていたのですが、最後は認知症を患って逆に介護を受ける立場になりました。そんな姿をずっと間近で見ていたことと、校訓の「人になれ 奉仕せよ」という言葉が不意によみがえってきたことがきっかけです。中学、高校という感受性の豊かな時期に、礼拝を受けて、聖書や讃美歌に親しんだことが、後になってずっしりと響いてきたんです。「人になれ奉仕せよ」という言葉は哲学的で、とても深い意味をもつので、完全に理解できているとは思いません。しかし、自分なりに理解することで、自らの人生に影響を及ぼすようになるんですね。 私は校訓の教えがあったおかげで、人生の最後に納得できる選択ができたと思います。今やっていることのために、これまでの人生があったような気がするんです。これが第二の人生ではなく、遅まきながらようやく本当の自分の人生が始まったような感覚でいます。永野 退職されてから、介護の勉強を始められたんですよね。不安はなかったですか。矢部 もちろんありました。しかし、

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