関東学院学報 No.43
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KANTO GAKUIN NEWS No.43 11学生として教授として人生を共に歩み続けた母校へ感謝ゲストOB 小林照夫氏関東学院大学文学部名誉教授(インタビュアー:関東学院大学副学長大澤善信教授)建学の精神を生きる「卒業生に聞く」2011年3月31日付で本学を定年退職した文学部名誉教授の小林照夫先生が金沢八景キャンパスにお越し下さいました。お迎えしたのは副学長の大澤善信文学部教授。同じ文学部の教授同士、和やかに話が弾みました。 大澤 小林先生は昨年度まで本学で教鞭をとられていたわけですが、実は大学並びに大学院の卒業生でもありますね。先生が入学なさった頃の大学はどんな様子だったのでしょう。私は7年前に本学に赴任してきましたので、環境も今とはずいぶん違うだろうと推測しますが。小林 それはもう大違いです。昭和35年ですからね。大学の前は干潟で、金沢八景を偲ぶ自然の美しさがありました。一方、校舎はひどくてね。いやあ大変な所に入学したと思いましたよ。ところが見かけとは大違いで、非常に中身が濃く、驚かされました。大澤 当時の関東学院は英語のレベルも大変高かったと聞いています。先生もシェイクスピアの英語劇で活躍されたようですね。小林 『から騒ぎ』をはじめ幾つかに出ました。柳生先生にthの発音が悪いといつも怒られていましたけれどね。英語教育の充実は教員だけではなく、本学にいらした宣教師の方々のお陰もありますね。大学の敷地内には宣教師の住宅があって、土日には聖書の勉強の後、英会話の勉強ができ、僕もずいぶん通ったものです。大澤 それが英国エディンバラ大学留学にも役立ったのでしょうが、先生は大学卒業後にいったん企業に就職され、三年後、大学院進学のために退職しています。また留学も修士を取られてから10年ほど経っています。様々な変遷には何か理由がおありなのですか。小林 一旦、社会に出たものの、大学時代の指導教授が新設の大学院で教鞭を取ると聞き、どうしても学びたいと思い、会社を辞めました。親は上場企業の職を捨ててまでと、先行きを心配していましたが、学びへの気持ちが勝っていたのですね。実際、教授陣には高島『から騒ぎ』後列中央が小林名誉教授1967年頃大学正門前でエリオット先生と(中央が小林名誉教授)

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