関東学院学報 No.42
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KANTO GAKUIN NEWS No.42 3 この度の震災にあたり関東学院にできることは何か。その答えを探って私たちは度重なる話し合いと十分な調査を実施しました。その結果、宮城県南三陸町復興のお手伝いを目的に「災害救援ボランティアプロジェクト」チームを結成。専門家の講演を含む事前説明会を経て、8月2日、第1期メンバーが現地に向けて出発しました。南三陸町、鎮魂の祈りと決意 学生9名、教職員6名による第1期メンバーは大学金沢八景キャンパスからバスで南三陸町に向かった。長旅で疲れた目に映ったのは、ただ殺風景な土地の広がりである。あまりの荒廃に言葉を失い、それでも夏草が茂り、蟻の営みがある大地を踏んで、鉄骨だけの南三陸町防災センターへ。 波に呑まれながら一命を取り留めた南三陸町の町長たちの苦労や、最後まで避難勧告の放送を続けた女性職員に思いを馳せながら、鎮魂と復興への願いを込めて、松田先生と共に静かに祈りを捧げた。 「中越地震で被災し、避難所や仮設住宅で暮らした経験があり、恩返しをする番だと思いました」「合宿でお世話になった東北の人々の優しさに報いたい」「困難を強いられている方々の役に立てれば嬉しい」「学生を見守るだけではなく、一緒に復興の力になりたいと思います」 学生も職員も参加動機は様々である。祈りの後、それぞれの決意を胸に、再びバスに乗り、宿舎に向かった。旧鱒淵小学校避難所の清掃から 翌日、早朝から活動開始。揃いのTシャツ姿で大学から職員が運転してきたワンボックスカーに分乗する。コンビニで各自昼食を確保した後、南三陸町中瀬地区の住民が避難している登米市立旧鱒淵小学校へ向かった。 旧鱒淵小学校はとりわけうまく運営されている避難所として名高い。その理由は、第一に佐藤徳郎中瀬地区長が住民を強いリーダーシップで支えたこと。そして震災後すぐに組織されたRQ市民災害救援センター(以下RQ)が、一貫した理念の下、人々と強い絆を作ることに尽力してきたことにもよる。円滑な流れの中に、関東学院がボランティアとして参加できたのは、RQ並びに地区長、そして登米市社会福祉協議会の深い理解があってのことだ。 そのRQのレクチャーを受けた後、実際の活動は小学校内の掃除から始まった。仮設住宅への引越しを翌日に控え、立つ鳥跡を濁さずの気持ちを受け止め、床を磨き、窓ガラスを拭いていく。この夏の汗がきっと未来の宝になるVolunteer Report関東学院大学生と教職員による東日本大震災災害ボランティアレポート避難所の旧鱒淵小学校は木材をふんだんに使った建築。居心地の良い空間が人々の心を慰めたという原則的にチームは学生10名、教職員5名による15名編成で1期から5期まで。夏休みの間、5日間ずつ交代で汗を流す交通網も遮断され、被災地も避難所も宿舎もすべてが離れている。宿を提供してくれた宮城県登米市にある石坂山荘の前で

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