関東学院学報 No.40
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10 KANTO GAKUIN NEWS No.40同時に、東京オリンピックの代表選手をめざして強化合宿に参加しました。でも残念ながら選考にもれ、オリンピックでは役員としてお手伝いしました。その翌年の昭和40年には、アメリカで開催されたスター級の世界大会に後輩を連れて行き出場しました。森島 1ドル360円の時代ですからね。海外の大会に出場できたのは、当時としては画期的だったでしょうね。貝道 昭和41年に霞ヶ浦で行われた第22回国体に神奈川県代表で出場したのを最後に現役を引退しました。その翌年の第23回福井国体から神奈川県の監督を10年ほど務めました。それと並行して関東学院大学のヨット部監督を務めていたのですが、私が監督になって2カ月目ぐらいに、不幸な事故があり1年生の部員が海岸で亡くなりました。ヨット部としては厳しい事態に至ったのですが、その時に荼毘に付すまでのお葬式の手配をして下さったのが森島先生のお父さまです。あの時は本当にお世話になりました。森島 当時私はまだ神学大学に入学したばかりでしたが、大変痛ましい事故で良く憶えています。貝道 亡くなった部員の志を生かすためにもヨット部を立て直さなければという想いがあって、監督を辞められなくなりました。それが今日までヨットとの関わりが続いた理由でもあります。森島 ヨット部は、三春台においても大学においても非常に活躍してきた伝統あるクラブです。その中で紆余曲折を経ながら現役時代から監督、全国区のヨット界でもリーダーとして牽引し、関東学院のヨット部をここまで育てて下さった貝道さんの功績は多大なものです。現在も県セーリング連盟の会長としてご活躍されていて、本当に頭が下がります。貝道 今は神奈川県のセーリング連盟の会長をやっています。この春までは神奈川県体育協会の副会長を4年、その前は理事、県体育協会は20年以上役員をやってきましたが、一応定年で3月に退きました。日本ヨット協会では昭和59年から平成11年の間に理事と理事長を務めました。その後、日本ヨット協会と日本外洋帆走協会を統合して日本セーリング連盟を創設、初代の専務理事に就任して活動が軌道にのったところで日本のヨット界全体の仕事は終わりにしました。その後は地元で横浜金沢連絡協議会の会長、それと並行して平成16年〜20年横浜市工業会連合会の会長も務めたり、地域の仕事で忙しくしています。森島 お忙しいとは思いますが、いつもヨットと共に歩まれる生活が出来るということは幸せですね。貝道 そういう意味で自分は一番いい人生を歩んでいると思います。周りにいつもヨットを応援してくれる先輩後輩がいた、ヨット界を良くしていこうという奉仕の精神が皆さんの中に浸透していたからだろうと思います。森島 特に三春台で育った人たちは、関東学院のスピリッツを強く感じていたと思います。身近に坂田祐先生がおられましたから、坂田先生との出会いとか、坂田先生の薫陶のもとに関東学院を盛りたてていた素晴らしい先生方がおられた、そういう環境が自然と「人になれ 奉仕せよ」という精神に向かわせているのだと思います。貝道さんは昨年「旭日雙光章」を叙勲されましたが、ヨットに関するいろいろな奉仕活動が評価されたのだと思います。昨年もみなとみらい21で奉仕の催しをされましたね。貝道 横浜開港150周年記念ということで「国際アクセスディンギーレガッタ」を開催しました。障害者の大会やお年寄りのディンギー大会など、障害者を含めた全ての皆さんに海の良さを体験して頂こうという主旨です。障害者でも操作できるアクセスディンギーは10年前にオーストラリアで開発され、皆が海で楽しめる環境をつくるために我々も頑張ってきました。あと7、8月の休日に横浜の港を開放して市民や施設の子に海を体験してもらう「横浜港ボート天国」は昭和63年から続けていて今年は23回目になりますが、その実行委員長を最初から務めています。森島 ヨットは生涯を通じてできる、経験のスポーツでもあると思います。だから若く力のある時だけ楽しむのではなく、年を経るごとに経験の中で増していく楽しみ方があるスポーツだと思います。貝道先輩はまさにそれを実践されていますね。貝道 今年のA級ディンギーの全日本大会で、70才以上のスーパーシニアの部に出場して2位に入賞しました。まだまだセーラーとして現役です。だから皆さんには海に出てマリンスポーツをぜひ楽しんでいただきたい、海というのは日々条件が違い、毎日が新しい経験をするし、逆に絶えず努力して新しいその日の条件に対応していかなければいけない、そういう意味では人生そのものです。海の上でヨットを乗りこなせると、人生も上手く乗りこなせるようになると思います。Having lived with yachts -- Still a sailor at the age of over seventy! Mr. Kazuaki Kaido, President of Kanagawa Prefecture Sailing Federation, says that he devoted himself to yachting throughout his school life at Kanto Gakuin. As soon as he entered senior high school he joined the school yacht club, which had been established just one year before, and he served as captain for the following two years. At university, he was already a regular member when he was a freshman. After graduating from university, he participated in a training camp in preparation for the selection of team members for the Tokyo Olympics. Although he was not selected as a member, he supported the race as an official. Since then he has served as coach for the Kanagawa Prefecture team for the National Athletic Meet and concurrently as coach for the Yacht Club of KGU. Mr. Kaido has played a leading role in the yacht world in Japan as a representative of various kinds of sports-related associations. In recognition of his outstanding achievements, he was decorated with the Order of the Rising Sun, Gold Rays and Silver Rays.●貝道和昭(かいどうかずあき)氏 略歴 1957年 関東学院中学校高等学校卒業 1961年 関東学院大学経済学部卒業 1961年 横浜港木材倉庫株式会社入社 1988年 横浜港ボート天国実行委員会委員長 1996年~ 横浜金沢産業連絡協議会理事 2001年~ 横浜金沢産業連絡協議会会長 2005年~ 神奈川県セーリング連盟会長 2005年~ 関東学院大学ヨット部OB会会長 2009年 旭日雙光章受賞 現在 横浜港木材倉庫株式会社代表取締役社長 株式会社横浜シーサイドピア代表取締役社長

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