関東学院学報 No.40
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KANTO GAKUIN NEWS No.40 ヨットとともに歩んだ人生、70歳を過ぎても現役セーラー!ゲストOB 貝道和昭氏関東学院中学校高等学校(1957年卒)関東学院大学経済学部(1961年卒)現職:神奈川県セーリング連盟会長(インタビュアー:学校法人関東学院 学院長 森島牧人先生)建学の精神を生きる「卒業生に聞く」森島 関東学院で過ごされた学生時代の思い出というとどんなことがございますか。貝道 三春台で過ごした私の高校時代はヨット一色の生活でした。高校入学と同時に創部から1年経ったヨット部に入部した私は、高2と高3の2年間主将として活動を軌道にのせるべく努力しました。当時はヨット部顧問の山本太郎先生や伊藤卓二先生が応援して下さってA級ディンギーを2艇建造して頂き、大きな励みになりました。高2の時、第10回の神奈川国体と修学旅行の日程がぶつかって、修学旅行を諦め葉山で国体の手伝いをしたことも思い出ですね。高3の時には大人の方を乗せたヨットが横浜ヨット港の入り口で沈をしました。乗っていた方は救助して頂きましたが風が強くて艇を起こせない、その内に鶴見川の入り口まで流れて海上保安庁の方に助けて頂きました。森島 貝道さんが三春台ヨット部の土台を築かれたのですね。その後大学でもヨットを続けられたのですか。貝道 大学に入ってからは経済学部のクラス委員にされたり、4年の時に選択で原書講読を履修したら学生が1人で1年間清水忠直先生から1対1で教わったり、それも思い出ですね。ヨットのほうは1年の時からレギュラーとして順調に活動していました。東北学院とよく定期戦をやっていましたから、松島瑞巌寺の隣の円通院で合宿して松島湾の中でレースをやりましたね。それから4年のキャプテンだった時に初めて女子の部員を募集しました。その時の1年生に著名な建築家の長谷川逸子さんと堤さんという女子が入部しました。彼女たちが2年生の時、鹿児島国体の神奈川県代表選手で出場しました。それ以来女子選手も活躍するようになり、アジア大会に出場するような国際的な女子選手も誕生しましたね。 私は昭和36年に大学を卒業すると

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